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大浦天主堂(旧大浦教会)

2024.06.18

大浦天主堂(旧大浦教会)
Oura Church(Oura Cathedral)

この地域におけるキリスト教の歴史(概略)

1865年に大浦天主堂が建設される以前のこの地区のキリシタン史については、その動静を明らかにする資料はほとんど残されていません。

1858年の安政五ヶ国条約締結により日本の5つの港(横浜、神戸、長崎、函館、新潟)が開放されたあと、ローマ教皇庁よりパリ外国宣教会のフランス人司祭らが日本に派遣されました。
居留地の外国人のために建設された大浦天主堂の献堂式から約1ヶ月後の1865年3月17日、浦上のキリシタンたちが参観者にまぎれて教会を訪れます。

その中の一人が聖堂内で祈るプティジャン神父に近づき、自身のキリスト教信仰を告げたことから、禁教令下の日本で250年余り潜伏していたキリシタンの存在が明らかになりました。
日本のみならず、世界的にも宗教上の奇跡といえるこの出来事により、長崎・大浦は歴史の脚光を浴びることとなりました。

大浦天主堂(教会)の沿革

1864年1月に聖堂建設に着手し、1864年12月29日に竣工、翌年1865年2月19日、ジラール神父司式による献堂式が執り行われました。
1873年に禁教令を示す高札が撤去され、信仰が黙認されると、信者数の増加で教会は手狭になり増改築の必要に迫られました。1879年に着手したその増改築工事で、聖堂の面積は当初の倍の大きさになり、白喰仕上げの外観となりました。

1945年8月9日の原爆投下で被害を受けたため、また老朽部分の補修を兼ねた工事がおこなわれ、1952年6月30日に修復が完了しました。

1933年1月23日付で国宝に指定され、1953年3月31日に国宝の再指定を受けています。

献堂から110年後の1975年、大浦天主堂の向かいにカトリック大浦教会が建設され、日常的な教会としての機能は大浦教会に引き継がれました。

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