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田平天主堂(カトリック田平教会)※構成資産外
2024.06.18
田平天主堂(カトリック田平教会)
Tabira Church
この地域におけるキリスト教の歴史(概略)
平戸地方におけるキリスト教の歴史は、1550年にフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier 1506-1552)がコスメ・デ・トーレス神父(Cosme de Torres 1510-1570)、ジョアン・フェルナンデス修道士(Juan Fernández 1526?-1567)、鹿児島のベルナルドを伴ってこの地を訪れたことにはじまります。
1557年に松浦隆信の重臣・籠手田氏が受洗して以降、平戸一帯に広まっていく際に、田平地区にも布教が及んだものと考えられています。
禁教令以後は弾圧が厳しくなり、各地で殉教が起こるなか、田平では1622年にイエズス会のイタリア人司祭、カミロ神父(Camillus Costanzo 1571-1622)が火刑に処され殉教しました。
平戸地方ではキリスト教迫害が厳しくなるとともに、生月と平戸島西岸においてキリシタンたちの潜伏が集中しました。
田平教会の沿革
1886年、当時の黒島主任司祭のラゲ神父(Emile Raguet 1854-1929)と、出津の主任司祭ド・ロ神父(Marc Marie De Rotz 1840-1914)によって、横立(よこたつ)の山野が購入されました。
それぞれ一町歩ほどの土地に、3家族と4家族とが移住したのを契機に、各地からの移住者が増えていきました。
教会建設のための敷地が購入されたのは1899年、仮聖堂が建立されたのが1903年頃のことでした。
聖堂建設は1905年に着任した片岡高俊神父から、1914年に着任した中田藤吉神父に引き継がれ、1915年12月に建設工事着手となりました。
工事の進捗は資金難などの理由により大幅に遅れ、1918年春に竣工し、同年5月14日にコンバス司教(Jean Claude Combaz 1856-1926)の司式で献堂式がおこなわれました。
内部空間は奥行のあるトリフォリウムをもつ、高さ10mを超える三層構成となっており、上下の窓にはステンドグラスが嵌めこまれています。
2003年に国の重要文化財に指定されています。