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大野教会堂(外海の大野集落)

2024.06.18

大野教会堂(外海の大野集落)
Ono Church(Ono Village in Sotome)

この地域におけるキリスト教の歴史(概略)

外海地方におけるキリスト教史は、1571年にイエズス会司祭フランシスコ・カブラル(Francisco Cabral 1529-1609)がこの地を訪れたことにはじまるとされています。宣教が開始されたその年に、神浦(こうのうら)の殿、神浦正信とその妻、息子の正房のほか、殿の二人の伯父たちが洗礼を受けた記録が残されています。

1585年頃には神浦にレジデンシアと呼ばれる支部修道院が存在した時期がありましたが、1587年に豊臣秀吉が発布した伴天連追放令により、神浦をはじめこの地域にあったレジデンシアや教会はすべて破壊されました。
その後、徳川幕府による禁教令以降も迫害は続き、この地方のキリシタンは潜伏時代に入りました。

大野教会の沿革

1879年、パリ外国宣教会のド・ロ神父(Marc Marie De Rotz 1840-1914)が外海地区の主任司祭として赴任し、1882年に出津教会が建設されました。大野教会は出津小教区に属する巡回教会の一つです。

大野教会の設計はド・ロ神父によるもので、1893年に神浦・大野地区の信徒26戸のために建設されました。外壁には地元の自然石である玄武岩が用いられており、会堂部は柱列のない平屋建てです。会堂の後方部分には司祭室が併設されており、これは1926年に赴任したブルトン神父(Joseph Marie Jean Baptiste Breton 1875 – 1957)によって増築されたものです。

老朽化が進み、2003年から2006年にかけて保存修理のための半解体工事がおこなわれています。
ド・ロ神父の考案による特徴的な建築技法の一つ、「ド・ロ壁」をもつ大野教会ですが、結晶片岩である温石石(おんじゃくいし)ではなく、この土地で算出される玄武岩が用いられています。乱積みの玄武岩と天川漆喰による外壁は、この土地の風土とよく融合しています。

2008年に国の重要文化財に指定されました。

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