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﨑津教会(天草の﨑津集落)
2024.06.18
﨑津教会(天草の﨑津集落)
Sakitsu Church(Sakitsu Village in Amakusa)
この地域におけるキリスト教の歴史(概略)
肥後国志岐城主の志岐鎮経は、1566年にイエズス会宣教師ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida 1525?-1583)より洗礼を受けました。鎮経が受洗した目的は南蛮貿易による利益だったといわれ、信仰への興味はさほどではなかったものの、この出来事をきっかけとしてキリスト教が領民へ広がりました。
1569年以降には、羊角湾に面した河内浦にも布教拠点ができ、その後宇土の領主となったキリシタン大名・小西行長の影響により、天草一帯で領民の改宗が相次ぎました。
1590年にイエズス会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父(Alessandro Valignano 1539-1606)が再来日し、島原にあったコレジヨを天草に移転したり、天正遣欧使節が持ち返ったグーテンベルク印刷機を用いて教理書を印刷するなど、天草に西洋文化が広がっていきます。
その後の天草地方はめまぐるしく支配体制が変化し、禁教令後は取締りが厳しくなるなか、信者たちは潜伏して小規模な信仰共同体を形成・維持しました。
﨑津教会の沿革
現教会はハルブ神父の赴任後、1934年に建設されたものです。初代教会は、1888年に現在地から東に80mほど離れた、﨑津諏訪神社の隣接地に建てられており、現在も跡地に木造の建物が残っています。
設計施工は鉄川與が担い、正面が鉄筋コンクリート造のゴシック調、祭壇側が木造の教会建築となっています。
当初は総鉄筋コンクリート造の聖堂建設を予定していたものの、工事半ばで資金不足となったため、3分の2を木造に変更して建設されたといいます。
堂内の床は畳敷きで、尖塔アーチの開口部に嵌めこまれた色板ガラスから、会堂内に柔らかな光が差します。
現在教会が建てられている場所は、禁教下に絵踏みがおこなわれていた庄屋屋敷跡地です。
2011年、「天草市﨑津・今富の文化的景観」が国選定重要文化的景観に選定されました。(*1)
(*1)2012年に追加選定