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黒島天主堂(黒島の集落)

2024.06.18

黒島天主堂(黒島の集落)
Kuroshima Church(Villages on Kuroshima Island)

この地域におけるキリスト教の歴史(概略)

江戸時代の黒島には平戸松浦(まつら)氏の家臣が居住しており、農業や漁業の他平戸藩の軍馬を飼育する放牧地で、わずかに流罪人などがいた島だったといいます。周囲の海賊を平らげ、島を領有した平戸藩の家臣・西丈右衛門という武士は本村という場所を所有地にすえ、仏教を信仰していたといいます。

キリスト教の伝来としては、平戸藩の家老・山口治左衛門という人物が、弾圧により大村を経て黒島に逃れてきたことを契機としています。また一方で、江戸時代後期には牧場を廃止し、外海や生月(大村藩)からの移住がおこなわれ、その入植者の中には潜伏キリシタンが多く存在したとされていたことが理由ともされます。
禁教下の潜伏キリシタンたちは、寺請制度に従い曹洞宗興禅寺の檀家としてふるまいつつも、信仰を続けたといいます。
禁教令を示す高札撤廃後の信仰黙認時代以降を迎えると、島内の8割を占める信者全員がカトリックに復帰しました。

黒島教会の沿革

黒島に教会が設立されたのは1874年との記録がありますが、島に常住した司祭は1897年のマルマン神父(Joseph Ferdinand Marmand 1849-1912)が最初でした。同じ年に、黒島小教区が誕生しています。

1878年に、当時平戸の紐差教会に赴任していたペルー神父(Albert Charles Arsene Pelu 1848-1918)により島の中心部の土地(現在地)が購入され、工期2ヶ年ほどで木造の教会が建設されました。
1897年、マルマン神父は新聖堂を建設する目的をもって来島し、自ら設計、工事監督等を務めたといいます。工事は一時中断などを経て、1902年6月10日クザン司教(Jules Aophonse Cousin 1842 – 1911)によって祝別されました。

マルマン神父による木製の説教壇やシャンデリアといった調度類、内陣の床面に貼り詰められた有田焼タイル、束ね柱の土台に使用されている黒島御影石など、創建当時の調度がよく保存されており、また地方色を表す特徴をいくつももった教会です。

1998年に国の重要文化財に指定されました。

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