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旧五輪教会堂(久賀島の集落)

2024.06.18

旧五輪教会堂(久賀島の集落)
Former Gorin Church(Villages on Hisaka Island)

この地域におけるキリスト教の歴史(概略)

五島藩主・宇久純定は1562年ごろに病を得、医師の派遣を大村領・横瀬浦に滞在中のイエズス会司祭コスメ・デ・トーレス(Cosme de Torres 1510-1570)に医師の派遣を懇請しました。その結果ディエゴという日本人キリシタンが派遣され、ディエゴから病の快癒と、キリスト教についての談話を受けた純定は、五島への宣教師派遣を望むようになったといいます。

それから数年を経た1566年、島原・口之津で活動していたイエズス会宣教師ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida 1525?-1583)と日本人修道士ロレンソ了斎(1526-1592)が五島に派遣され、宣教活動を開始しました。五島列島には1606年までの間に宣教師らが幾度も訪れ、信徒は2,000人を超えるほどになりましたが、1614年の禁教令以後にはキリシタン迫害が五島にも及びます。
禁教下には密かに信仰を続けた者もあったとされますが、外海・平戸地方のように組織的なものではなかったため次第に衰退し、あるいはごく小規模な潜伏信仰として存続したとみられます。

1797年から五島の荒地開拓のため、大村藩領の外海地方から農民の移住がはじまり、このときに久賀島にも移住者が広がりました。
1868年9月に久賀島を皮切りに、五島の各地で起こった大規模な迫害は「五島崩れ」などと呼ばれます。久賀島では、6坪の牢に200人余の信徒が8ヶ月ものあいだ閉じ込められ、42人の殉教者が出る事件がありました。その後、牢のあったその場所には「牢屋の窄殉教記念聖堂」が建てられました。

旧五輪教会堂の沿革

久賀島では1881年創設の浜脇教会を筆頭に、永里(えいり)、細石流(ざざれ)、赤仁田のそれぞれの地区に教会が建てられました。1931年に浜脇教会が新築される際、旧聖堂は五輪教会として五輪地区に移築されました。移築後半世紀を経た1985年、年月と潮風による傷みが激しいことから、五輪教会の新築に伴い取り壊しになるところ、保存が決定し福江市(現五島市)に寄贈されました。保存にあたり、大規模な修復工事がおこなわれ、1999年には国の重要文化財に指定されました。

三廊式の会堂部は身廊部・側廊部ともリブ・ヴォールト天井です。側廊部のリブの起点が身廊部より低くされており、それによって身廊部の天井が高く見えるようになっています。
木造の小規模な教会ですが、内部の木肌や漆喰壁に囲まれた空間は落ち着きを感じさせます。

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