大浦天主堂のご紹介
歴史から見る大浦天主堂の歩み
年 | 月日 | 社会 / 長崎のキリスト教 |
1587天正15年 | 7月24日 | 社会伴天連追放令 |
1596文禄5年 | ー | 社会サン=フェリペ号事件 |
1597慶長1年 | 2月5日 | 長崎のキリスト教日本二十六聖人殉教メモ:長崎西坂で26名が殉教 |
1622元和8年 | 9月10日 | 長崎のキリスト教元和の大殉教メモ:長崎西坂(立山)で55名が殉教 |
1636寛永13年 | ー | 社会長崎出島築造 |
1637寛永14年 | 10月 | 社会島原天草の乱メモ:1638年4月終結 |
1838天保9年 | ー | メモ:パリ外国宣教会に日本宣教のための管轄権が付与される |
1844天保15/弘化1 | 4月28日 | 長崎のキリスト教フォルカード司教琉球王国入り |
1846弘化3年 | ー | メモ:パリ外国宣教会に日本宣教が委託される |
1853嘉永6年 | ー | 社会ペリー来航(黒船来航) |
1854嘉永7年 | 3月 | 社会日米和親条約、日英和親条約締結 |
1855安政1年 | ー | 長崎のキリスト教ジラール神父、フューレ神父琉球王国入り |
1856安政2年 | 1月 | 社会日蘭和親条約 |
1858安政5年 | ー | 社会安政五カ国条約(米・英・蘭・露・仏)メモ:長崎、神戸、横浜、新潟、函館の港を開放 社会絵踏廃止 |
1859安政6年 | ー | 社会横浜に外国人居留地造成開始 |
9月6日 | 長崎のキリスト教ジラール神父日本上陸 | |
1860安政7年 | ー | 社会桜田門外の変(3/24) 長崎のキリスト教プティジャン神父琉球王国入り |
1861文久元年 | 11月 | 長崎のキリスト教横浜天主堂竣工 |
1862文久2年 | 1月12日 | 社会寺田屋事件(5/12) 長崎のキリスト教横浜天主堂献堂式 |
6月8日 | 長崎のキリスト教日本二十六聖人列聖 | |
10月 | 長崎のキリスト教フューレ神父、プティジャン神父来日 | |
1863文久3年 | 1月22日 | 社会薩英戦争 長崎のキリスト教フューレ神父来崎 |
2月14日 | 長崎のキリスト教大浦天主堂建設地入手 | |
8月5日 | 長崎のキリスト教プティジャン神父来崎 | |
1864文久4/元治1 | はじめ | 長崎のキリスト教大浦天主堂着工:ジラール神父長崎へ、プティジャン神父横浜へ |
8月5日 | 長崎のキリスト教ジラール神父横浜へ、プティジャン神父長崎へ | |
10月4日 | 長崎のキリスト教フューレ神父1年間の休暇取得(フランス帰国) | |
11月 | 長崎のキリスト教ローケーニュ神父来崎 | |
1864元治元年 | 12月29日 | 長崎のキリスト教大浦天主堂竣工 |
1865元治2年 | 2月19日 | 長崎のキリスト教大浦天主堂献堂式 |
3月17日 | 長崎のキリスト教信徒発見 | |
1866慶応2年 | 5月7日 | 社会薩長同盟締結(3/7) 長崎のキリスト教フューレ神父再来崎 メモ:クザン神父来崎 |
5月11日 | 長崎のキリスト教プティジャン神父日本代牧、司教任命 | |
1867慶応3年 | 6月2日 | 長崎のキリスト教信徒発見記念式典 |
7月 | 長崎のキリスト教浦上四番崩れメモ:浦上キリシタン3,394名が西日本各地に流配 | |
11月9日 | 社会近江屋事件、大政奉還 | |
ー | 長崎のキリスト教プティジャン神父 渡欧(約5ヶ月間) | |
1868慶応4/明治1 | 6月7日 | 社会明治維新 長崎のキリスト教ド・ロ神父来崎 |
1868慶応4/明治1 | ー | 社会戊辰戦争 |
1869明治2年 | ー | 長崎のキリスト教フューレ神父フランス帰国 メモ:パリ外国宣教会退会 |
5月 | 長崎のキリスト教プティジャン神父渡欧(約1年1ヶ月間)目的:第1バチカン公会議出席 | |
1871明治4年 | ー | 社会岩倉使節団米欧12ヶ国訪問 長崎のキリスト教プティジャン神父、ド・ロ神父横浜へ(高札撤廃まで) |
8月29日 | 社会廃藩置県 | |
1873明治6年 | 2月24日 | 社会高札撤廃 |
1875明治8年 | ー | 長崎のキリスト教長崎公教神学校(羅典神学校)開設 長崎のキリスト教プティジャン神父渡欧(約1年7ヶ月間) 目的:日本の教区分割 |
1877明治10年 | ー | 社会西南戦争メモ:司教座が大阪に定められる |
1879明治12年 | ー | 長崎のキリスト教大浦天主堂増改築 メモ:パリ外国宣教会報告書による |
1880明治13年 | ー | 長崎のキリスト教プティジャン神父大阪→長崎 |
1884明治17年 | 10月7日 | 長崎のキリスト教プティジャン神父死去 メモ:墓所 大浦天主堂内 |
1885明治18年 | 12月22日 | 社会内閣制度発足 |
1889明治22年 | 2月11日 | 社会大日本帝国憲法公布 |
1891明治24年 | 6月15日 | 長崎のキリスト教長崎教区の設立 |
1906明治39年 | ー | 長崎のキリスト教横浜天主堂が移転し山手教会となる |
1914大正3年 | 3月17日 | 社会第一次世界大戦 長崎のキリスト教浦上天主堂竣工 |
1931昭和6年 | ー | 社会満州事変 |
1933昭和8年 | 1月23日 | 長崎のキリスト教大浦天主堂 国宝指定 |
1936昭和11年 | 2月26日 | 社会二・二六事件 |
1939昭和14年 | 9月 | 社会第二次世界大戦勃発メモ:1945年終結 |
1945昭和20年 | 8月6日 | 社会原爆投下(広島) |
8月9日 | 社会原爆投下(長崎) 長崎のキリスト教浦上天主堂倒壊、大浦天主堂も被害を受ける | |
1946昭和21年 | 11月3日 | 社会日本国憲法公布メモ:1947年5月3日施行 |
1947昭和22年 | 7月21日 | 長崎のキリスト教日本二十六聖人殉教地確定メモ:キリシタン史研究家・長崎県戦災復興委員会 文化厚生専門委員 |
1952昭和27年 | 6月30日 | 長崎のキリスト教大浦天主堂修復完了 |
1953昭和28年 | 3月31日 | 長崎のキリスト教大浦天主堂 国宝再指定 |
1959昭和34年 | 11月 | 長崎のキリスト教浦上天主堂再建 |
1962昭和37年 | 1月1日 | 長崎のキリスト教司教座移転メモ:大浦天主堂から浦上天主堂へ |